4.絶望とユーモア

はじめに
「言ってなかったけどね、君には」

彼の淡々とした、それでいて現実味のない言葉が僕にもたらしたもの、それは間違いなく絶望だった。グラスに入ったコーラを、彼はストローで混ぜる。コーラの中で気泡と氷がまわる。どっぷりと絶望に染まる僕を、更に突き落とすように、彼が次の言葉を口にする。

「実は僕、朝はパン派なんだ」


読者諸賢、ごきげんよう
今夜も早速だが、皆様に問いたい。絶望とはなんだろうか。人は絶望に、どう立ち向かえばよいのか。少なくとも、あの時の僕は、絶望に対して精一杯、光を投げ込まんとしたのだ。

 


夜と友と大地の歌
夜と霧という本がある。心理学者ヴィクトール・フランクルが、収容所での体験を通して「絶望にどう立ち向かうか」を示した名著である。原版のドイツ語をはじめ、英語、日本語(旧訳・新訳)とある上に、原版もたびたび改訂されているため、正確に引用することも難しい。なので私見も交えつつ、超意訳としてここにまとめたい。

 

「自分の人生になんの意味があるのか、などと他方に意味を求めない。自分の人生なのだ。自分の人生に、真摯に向き合った上で、みずからへ問い、答えていくのだ。自分が今している行動、選択、思考は、自分の人生の意志に沿っているのか、と。そしてその旅路にはユーモアという武器が不可欠である」

 

ちなみに、旧訳を担当した霜山徳爾は、フランクルに直接会いに行き、意気投合の末、酒を酌み交わしている。その夜、お互いが好きなマーラーの「大地の歌」を歌いながら歩いて帰った、というエピソードが僕の1番のお気に入りである。

 


ユーモアとグリーフ
おちゃめエピソードの霜山は、上智大学の心理学教授でもあった。その同僚に昔、アルフォンス・デーケンと言うこれまたユーモア溢れる教授がいた。彼もまた、フランクル同様、第二次世界大戦で凄絶な体験をしている。にもかかわらず、彼も「ユーモア」について多くの言葉を残している。

 

『 ユーモアとは「にもかかわらず」笑うことである』

デーケンによると、どんなに絶望的な状況であっても、どうにもならない状況だったとしても、人間に唯一できることがあるという。それは笑うことである、と。

 

デーケンは日本に死生学を広めた功績でも有名である。中でも大切な人を亡くした家族の悲嘆プロセス(grief process)は、今でも引用されることが多い。

「大切な人を亡くしたあと人は、麻痺や否認、パニック、罪悪感、抑うつなどさまざまな反応を起こす。その悲嘆の闇を貫いて、光が見え始める頃に、人はユーモアと笑いを再発見する(意訳)」と、ここでもユーモアの重要性を指摘している。そして、僕がこの言葉をより強く体感したのは、宇多田ヒカルライブコンサートの帰り道であった。

 


宇多田と光

宇多田ヒカルの2018年のコンサート、Laughter in the Dark Tourは、「希望と絶望」がテーマだった。開演は全身黒のドレスで始まったが、途中で白と黒のドレスに変わった。まるで絶望の中の光を表すように。そして中盤のショートムービーでは、又吉直樹と対談しつつ、コンサートのテーマや、絶望とユーモア、笑いの語源などを解説していく。その中で宇多田ヒカルはこう語る。
「ユーモアがあれば、どんなに絶望的な状況でも見方を切り替えられる」と。

 

コンサートは最後、こんな歌詞で終幕となる。

「長い冬が終わる瞬間/笑顔で迎えたいから/意地張っても寒いだけさ/悲しい話はもうたくさん/飯食って笑って寝よう」

コンサートがまるごと、デーケンのgrief processをなぞっている、と考えるのは僕の早とちりであろうか。少なくとも僕には忘れられない帰り道となった。

 

窮地ほど笑う海賊
ユーモアについて、ある世界的漫画についても述べたい。今この瞬間、もっともホットな展開と言っていい漫画、週刊ジャンプの「ワンピース」である。このワンピースで、オープニングから、最新の1044話に至るまで貫かれているのが、「絶望と思える状況でこそ、笑う」という描写だ。

処刑直前の海賊王、2人の戦争孤児を育て上げた母親、同じく処刑(未遂)間際の主人公、毒キノコを食べた良心ある医者……至る所で描かれる「絶望と思える状況でこそ、笑う」という描写は、現在の最新話まで貫かれている。

「暴力が支配する絶望の時代が終わり、笑い声と共に、人々が自由になれる世界の夜明けがくる」
2022年になった今も戦争をしているこの世界の現状を考えると週刊少年ジャンプに世界平和の祈りを感じてしまうのも、無理からぬ話だろう。

 

僕と友と糖質と
かつてワンピースという漫画を教えてくれた友人に、僕はサイゼリアで久しぶりに会っていた。彼は立派な大人になっていた。いや、少々立派になりすぎていた。108kgという、ある意味、きりの良い体重は、確かに彼の健康と、睡眠時の呼吸を圧迫していた。そして近況について質問した僕に、彼は1日4合の米を炊くことを教えてくれた。

 

僕は体型やボディイメージについてはとんと無頓着である。しかし、健康に関しては話が違う。30代で米4合という食生活が行き着く先は、目に見えていないが、目に見えている。コーラを飲みながら淡々と話す彼とは対照的に、僕は確かに絶望を感じていたのだ。だがしかし、と僕は思った。だがしかし、絶望の中にこそ光はあるのだ、とも思った。僕は肩まで浸かった絶望を振り払った。彼と彼の健康で文化的な生活を守らんと、僕がメロスばりに決意した矢先、彼は言った。

「実は僕、朝はパン派なんだ」

 

僕が逡巡する間、彼は残ったコーラを飲み干した。

そして僕は言った。

「糖質減らす、闘志つけなきゃね」

優しい彼は、静かに笑ってくれた。

 

うま