吾輩は宇多田ガチ勢である。ファンクラブはまだない (上)

読者諸賢、久闊を叙す。最近、推しがアツい。今宵はこの胸の滾りを勝手にお届けしたく、筆を取ることにした。少々長いがお付き合いいただきたい。

 

推しが尊い! /My faves is so precious!  (世界が広がる 推し活英語より)

今、宇多田ヒカルがアツい。まずは1月19日に宇多田ヒカルの40歳の誕生日&ライブ配信プログラム「40代はいろいろ」が控えていることが、ガチ勢界隈をすでに興奮のるつぼにしている。

また、世間では去年の11月から公開されたドラマ、First Love 初恋が話題である。このドラマは、もちろん1つの作品としても素晴らしいのだが、宇多田ヒカルのFirst Love、初恋の2つの曲にインスパイアされ作成されているという点が大きく取り上げられている。

 

実は、宇多田ヒカルの楽曲にインスパイアされて作られたドラマ作品がもう一つある。その隠れたドラマと、宇多田ヒカル、そして昭和の文豪、この三者の繋がりを勝手に紐解いて行こうというのが、今回の趣旨である。ちと長いため、上:ドラマと宇多田ヒカル、中:宇多田ヒカルと文豪、下:文豪とドラマ、という形で徒然なるままに紡いでいこうと思う。

最愛の、君に夢中
くだんのドラマは2021年公開の「最愛」である。完全オリジナル作品で、宇多田ヒカルの「君に夢中」が主題歌として使用されている。ラブ・サスペンスとも評される通り、キャッチコピーは「真相は愛で消える」。このキャッチフレーズの意味も、本稿を最後まで読めば得心いただけるのだが、細部まで相当に練り込まれている作品である。主演の吉高由里子さんをして「自分より長生きする作品」と言わしめたほどのクオリティの一端を、宇多田ヒカルとの関係を切り口に早速紐解いて行こう。

 

最愛のプロデューサー、新井順子氏は”宇多田ヒカル ガチ勢"である。コンサートへの参戦はもちろん、今回の企画書作成時も宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」を聴きながらの作成だった。「主題歌は宇多田ヒカルしかない!」と念じた祈りが通じたのか、無事オファーはOKされた。その際、同じく宇多田ヒカル好きで知られる主演吉高由里子歓喜する様子が、インタビューやTwitterから読み取れるが、万感の想いやいかに。

ここで観測できる限りのオファーの経緯をまとめてみよう。宇多田ヒカルへのオファーでは、ドラマ側から3-4話までの台本を渡し、『最愛というテーマに沿って作ってほしい』とだけ伝えたと、監督の塚原あゆ子氏がインタビューで明かしている。宇多田ヒカルはドラマ側からのオファーに対して、SpotifyのLiner Voice+でこのように語っている。「実は、曲自体は3-4年前から作っていたが歌詞がなかった。ドラマからオファーがあった際、あらすじを読ませていただいた。吉高由里子さんの役、真田梨央のイメージと自分の気持ちをどうリンクさせるかを考えた。実際にはドラマのストーリーはそこまで意識せず、細かいところではなく、根底にある感覚みたいなものを発端にした」
こうして両者の言葉を見比べたときに浮かんでくるのが、ドラマ作成側の「最愛というテーマ」と、宇多田ヒカルの「根底にある感覚」という言葉である。この2つの輪郭をもうすこしはっきりさせるため、ピースをもう少し埋めていきたい。

最愛と、君に夢中

ピースの1つをまずはみてみよう。ドラマ最愛の特筆点の一つとして、さまざまな「最愛」の形があることを、ドラマの内容だけでなく枠組みも活かして、表現している点がある。

監督の塚原氏は「ドラマのはじめ、毎回ナレーションが入る。このナレーションを毎回違う人が、自分の最愛について語るという風にして、徐々に物語に入れるように意識した」という趣旨の発言をインタビューでしている。また、ドラマの公式ポスター(ぜひみていただきたい!)も、登場人物それぞれの視点が「誰から誰に」向いているのかを意識させられる構図となっており、最愛にはさまざまな形があることを暗喩している。

もう一つの特徴として、宇多田ヒカルの主題歌「君に夢中」の差し込み方がある。そのタイミングや演出が素晴らしいを通り越して、憎いほどなのだ。「君に夢中」の歌詞とドラマのストーリーを重ね合わせて、これ以上ない瞬間に調整されている。
君に夢中は毎話で流れるが、その各話での使われ方、歌詞のフューチャーのされ方が違う。つまり、ドラマのストーリーと君に夢中の歌詞が完全にリンクしているのだ。そして、各話でフューチャーされる歌詞は、聴きやすいようにドラマの音声と被らないように工夫されているのだ。なんなら音量もあげているところもある、という心憎さ。曲とドラマは別々のものでありながら、2つで1つの作品になっている。これらは作り手側としても相当難しいさじ加減であったことが、塚原氏・新井氏のインタビューからも伺える。物語の中で表現される多面的な「最愛」を、主題歌の一部分と重ねることで、固定した1人の「最愛」ではなく、さまざまな形が表現されている。

真相は愛で消える

ここで野暮とは思いながら、ドラマ中で主題歌と重なるようにフューチャーされている歌詞を、勝手に挙げてみようと思う。ほぼ完全にリンクしていると思われる部分を抜粋したので、ぜひ実際にドラマをみて確認してほしい。

第一話 心の損得を考える余裕のある自分が嫌になります
第四話 今どこにいる?
第六話 まるで終わらないdéjà vu
第八話 許されぬ恋
第十話 普段から大人しくて嘘が下手そうなやつ

これらはもちろん唯一解ではない。「最愛」に唯一解が無いように。これらの歌詞の持つ言葉のちからが、ストーリーを通して、より鮮明に、そして重みのあるものとして響く。それは、メッセージを受け取る人の数だけ、解もあるのだろうと思う。ぜひ、実際にドラマを見ていただいて、それぞれの身体で感じてもらいたい。


上記の僕の解釈については、それぞれに言いたいことが山のようにあるのだけれど、特に第六話「まるで終わらないdéjà vu」に関しては、僕の推測も交えつつ補足して語りたい。第一話のラストで「君に夢中」が流れるのは歩道橋である。そして第六話、まるで「終わらないdéjà vu」と流れるのも同じく歩道橋である。この歩道橋という大道具を背景に、主題歌を小道具として「最愛」を描く制作者たちの緻密さたるや。。。


また、宇多田ヒカル側の緻密さにも触れておこう。そもそもdéjà vuとは、「どこかでみたような気がするが思い出せない」感覚とされ、人と人との出会いを運命的な、宿命的な出会いを暗喩する言葉でもある。それは少し言い過ぎじゃ無いか、と思ったそこのあなた。その視点でこの歌詞の続きをみてみよう。歌詞中に4ヶ所、別々の場所にある、同じ韻を踏んでいる部分である。

まるで終わらないdéjà vu
許されぬ恋ってやつ?
来世でもきっと出会う
ここが地獄でも天国

まさに上記のdéjà vuを説明した言葉と重なりはしないだろうか。
ここで、先ほど述べたドラマ作成側の「最愛というテーマ」と、宇多田ヒカルの「根底にある感覚」という言葉をもう一度、整理してみたい。

誰が一番愛されていたか
最愛というテーマを元に、楽曲を作り上げた宇多田ヒカル。そしてその楽曲を、そして歌詞を、細部にいたるまでマッチさせ、緻密に作り上げたドラマ最愛。ここで浮かぶ疑問は1つである。ここまで重なる部分が多いにもかかわらず、2つで1つの作品として完成されているのはなぜか。なぜこうも違和感なく完璧なまでに統合され得たのか。僕の仮説はこうである。両者の根底にある最愛についてのイメージが、相当な割合で同じであったのでは無いか。僕はこの仮説を、ある昭和の文豪を交えた三角測量的視点を用いることで、ある程度の解像度まで迫ることができたのでは無いかと考えている。ドラマ最愛のファンの中でも謎のままであるキャッチフレーズ「真相は愛で消える」についても、宇多田ガチ勢がアタマを悩ませている宇多田ヒカルのあの発言についても納得いただけるかと思う。

次回、「吾輩は宇多田ガチ勢である。ファンクラブはまだない (中)」以降では昭和の文豪と宇多田ヒカルの関係を整理していきたい。読者諸賢、乞うご期待!

 

うま